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第501飛行隊(だい501ひこうたい、JASDF 501st Tactical Reconnaissance Squadron)は、航空自衛隊の偵察航空隊の部隊である。百里基地を拠点とし、偵察機にRF-4EとRF-4EJ、連絡機にT-4を運用する。 == 概要及び沿革 == *第501飛行隊は日本唯一の戦術偵察機運用部隊であり、その活動範囲は日本全土となるため、百里基地に所属するが、第7航空団ではなく航空総隊の直轄部隊となっている。部隊マークはウッドペッカー(キツツキ)。川中島の戦いの啄木鳥戦法に由来している。偵察飛行は戦術目的だけではなく、阪神淡路大震災などの大規模災害でも行われている。 *第501飛行隊は元々、松島基地で1961年(昭和36年)12月1日に編成された部隊である。翌1962年(昭和37年)8月31日には入間基地に移動する。初期運用機種はRF-86F(戦闘機として導入したF-86Fのうち、余った機材を改造したもの)であった。 *1972年(昭和47年)、航空自衛隊はRF-86Fの後継機としてRF-4E14機を採用、これを機に所属基地も百里基地へ移動することになり、1974年(昭和49年)10月1日、「百里先遣隊」を編成。12月4日にRF-4Eの1号機が配備された。 *1975年(昭和50年)10月1日にはRF-86Fを装備する「入間分遣隊」が編成されたが、1977年(昭和52年)3月に解散しRF-86Fは航空総隊司令部飛行隊へ移管された。 *1992年(平成4年)には、F-15の導入により余剰となったF-4EJ15機をRF-4EJに改修し、新たに追加導入された。保有するRF-4EとRF-4EJにはシャークマウス塗装が施されているものがある。今後RF-4EとRF-4EJが老朽化に伴い退役するため、後継機としてF-15J/DJ戦闘機を改修して偵察機にする案が検討されていたが、契約相手方である(株)東芝が納入できる光学・赤外線偵察ポッドの性能は、防衛省の要求する性能を達成できないと見込まれるため計画はとん挫した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第501飛行隊 (航空自衛隊)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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